薫殿はどちらかと言えば、長風呂で。
まあ、女は風呂が長いと言うし、薫殿も女性だし。
それにしても……。
薫殿が風呂へ入ると言ってから、どれだけ経った?
いつもの薫殿なら、遅くともそろそろ上がってくるはず。
「剣心。メシまだ?」
なかなか姿を現さない薫殿に首をかしげていると、道場の掃除を終えた弥彦が居間に顔を出して言った。
長い稽古の後、今まで一生懸命掃除をしていたのだ。
すぐにでも温かい飯を食わせてやりたいのは山々なのだが……
「うーん……少し待つでござるよ、弥彦。薫殿が……」
「え、あいつまだ風呂入ってんのか?中で溺れてんじゃねぇの?」
「可能性はなきにしもあらずでござるな。薫殿は変なところで抜けているでござるからなあ。」
ほんの軽い冗談のあと、二人の間で『はははは……』と乾いた笑い。
しかしながら一たび口に出してしまった瞬間、互いの頭の中に『もしかして……』という考えが巡り巡った。
いや、まさか。
抜けているとはいえ、薫殿も立派な大人。
それに大の大人が風呂で溺れるなど、聞いたこともない話である。
「……剣心。様子見て来いよ。」
「いやいやいや。普通に考えて無理でござろう。」
「じゃあどうすんだよ。」
「どうするって……、それなら弥彦が行った方が良いのでは?」
「そんなことしてもし薫がピンピンしてたら、ただで済むワケがねぇだろ!」
「それなら拙者も同じでござる。」
「……でも剣心の方が絶対被害は少ない!ほら、行けって!」
「ちょ、ちょい!ちょい!弥彦!」
いきなり着物の腰の部分を両手で掴まれたかと思いきや、そのままぐいぐいと後ろから押されて、このまま行けば目指すは間違いなく風呂場。
風呂場…なのだけれど、いつの間にこれほど腕に力がついたのか、思っていたよりも押されるスピードが速い。
そうか。
きっとこれは薫殿の地獄にも似たしごき…もとい、稽古の成果で……って、そうではなくて!
弥彦が相手だから何とか身体を回して回避しようと思っていたのに、風呂場はもう目と鼻の先に。
どれだけ踏ん張っても突っ張りの効かない足に、何をどうするか考える間もなく、さーっと血の気が引いていく。
そうこうしているうちに身体は風呂場へとたどり着いてしまい、呆けていた拙者の手をとって風呂場の扉を叩こうとしている弥彦に気づいた瞬間ようやく正気に返った。
「……何する気でござる。」
「……いきなり突入すんのか?」
「そうではなくて!やはり居間で待っていた方が……」
「さんざん待って出てこなかったんだろ。風呂が長い薫が悪いんだよ。」
「では拙者は居間で待っているでござる。あとは頼むでござるよ。」
「俺一人に押し付ける気か!?」
「弥彦と拙者では、色々と問題が違ってく……」
ガ ラ ッ ・ ・ ・
「……で。二人はそこで何をしているのかしら?」
風呂場の前で揉み合っているところに投げかけられた、冷たい声。
とても嫌な予感を覚えながらもチラリとそちらに視線を向けると、そこにはとても元気そうな薫殿が静かに微笑んで立っていた。
……ああ、着物はしっかり。
頭の中をふっとよぎった、そんな考え。
次の瞬間物凄い衝撃と共に、それは一気に吹っ飛んだ。
>>終
2008/02/19
薫殿には、常に強くあってほしいという希望。