少し肌寒いこの身に残るのは
彼の体温の名残と、力強い腕の感触。
彼はもうここには居ないのに
記憶に残る彼の匂いが、私の心臓を締めつける。
あの人が彼の元を尋ねてきてからというもの、彼の雰囲気はガラリと変わった。
そして私はあの人との再会の時点で彼が既に決断を下していたことに気づいていたつもりであったけれど、それでも信じたくない自分が居て、不自然な彼の笑顔に気づかない振りをしていた。
何気ない表情に、見て取れる澱み。
その表情を見た瞬間何とも言い表せない感情が私の中に迫ってきて、私と彼とでは根本的な物が大きく違っていることに気づかされてしまった。
私は彼の過去を知らない。
彼がどのような生き方をしてきたのかも、どのような光景を見てきたのかも。
ただ少なくとも、彼が私の年頃の頃、私のように平々凡々な暮らしをしてはいなかったことだけは理解できる。
私の考えや言葉は全て、戯言としてしか彼の耳に届かない。
私は
私の肩を突き放して去っていった彼に、泣いて縋れば良かった?
腕を掴んで、決して離さなければ良かった?
「ありがとう」と「さようなら」
それが彼の唯一の本音であり、彼の精一杯の優しさ。
どれだけ縋っても無駄だということを、はっきりと言われてしまった気がした。
私の言葉は届くはずもない。
光をなくして暈けたこの目に映るのは
いつかの彼の残像と、淡く灯る蛍の光。
彼はもうここには居ないのに
耳に残る彼の言葉に、私の期待は捨てきれずにいる。
>>終
2008.05.14
剣薫Dayということで。