「薫さーん」
門の辺りから響く、青年らしき人物の声。
庭で洗濯をしていた剣心は、遠くに聞こえるその声に手を止めすっと立ち上がった。
薫は朝から出稽古。
それゆえ今日はこの家には自分一人しかいない。
薫殿にお客人でござろうか・・・?
今日は薫殿は出稽古なのに・・・。
あれこれと色々思いながら門のところまで歩いて行くと
あちらも自分の存在に気付いたようで、剣心の顔を見るや否やぺこりと頭を下げた。
「これは新市殿!久しぶりでござる。」
「こんにちは、緋村先生。薫さんは出稽古ですか?」
「そうでござるよ。・・・・って、先生;;?」
茶でもどうか…と尋ねたが、どうやら新市は巡回のついでにここに立ち寄ったらしく、
また直ぐに勤務に戻らなければならないのだ…と、疲れた顔でそれでも明るく笑った。
「新市殿、薫殿に用というのは・・・?」
「あぁ、そうでした!これを薫さんに・・・。」
そう言って新市がいそいそと制服のポケットから取り出したのは、一通の文。
ポケットの中で出来てしまった細かな皺をせっせと伸ばして、剣心へ差し出す。
「よろしく頼みます。」
そう言うと新市は軽く礼をして、小走りで剣心の元を去って行った。
かなりの達筆で神谷薫殿と書かれたそれには差出人の名前は書いておらず
それにしても分厚く折りたたまれたそれの内容は、余程濃いものと伺える。
呆っとした意識の裏側で、何かが黒く澱んでいくのを感じた。
そして辺りが橙色に染まる頃、重たい防具を揺らしながら薫は帰って来た。
ドスンという鈍い音と共にその荷物を地面へ落とす。
「ふぅ、今日も疲れたぁー…」
「お帰り、薫殿。風呂が沸いているから、入ると良いでござるよ。」
「本当?じゃあお言葉に甘えて、先に入らせてもらおうかな。」
上機嫌で微笑む薫につられて、ついつい自分も頬を弛ませてしまう。
高く結い上げた髪を解く仕草に見入っていた剣心は、ふと昼間の文の件を思い出した。
「薫殿、昼間新市殿がこれを・・・」
「新市さんが文を?・・・何かしら?」
剣心から文を受け取った薫は分厚く折られた文を広げて、その内容にざっと目を通していく。
上から下へと忙しなく移動していく薫の目の動きに、剣心の視線は釘付けになった。
そして一通り読み終えた薫の顔が嬉しそうに緩んだことに、剣心の中の黒い澱みがグッと締め付けられる。
「薫殿・・・」
「この文ね、私の初恋の人なの。
警察官で、今年こっちに配属されたんだって!それで新市さんとも繋がりがあるみたい。」
「へ・・・ぇ・・・。」
「それでね、今度会いにおいでって!お風呂入ったら、早速お返事書かなきゃ。」
如何してそんなに嬉しそうなのだろうか。
如何してそのように他の男から文を貰って、意気揚揚と返事を出す必要がある?
自分は何のために此処にいるのか。
自分は薫殿にとって、何なのか。
全ての感情が絡まって増幅し、自分だけでは抑えきれなくなる。
無意識の上に薫の細い手首を捕まえて、引き寄せて腕の中に閉じ込めた。
突然の事に驚いた薫が慌てて身を捩った瞬間僅かに理性が働いたが、
最早押し寄せる衝動の方が強くて、本能の勢いそのままに畳の上に薫の身体を押し倒す。
「ちょ…剣心ッ///!?」
「拙者は・・・っ」
「剣・・・、や…っ///」
乱れた晒しの隙間から、薫の白い肌が覗く。
薫の胸元にだらりと絡みつく晒しに手をかけて、剣心は無表情でそれをといていく。
「剣心ッ///!!」
「薫殿が…他の男の元へ行くというのを、黙って見過ごす事など出来る訳が無い!」
「え…?・・・っ、んっ///!ふっ…、ぁ///」
剣心は薫の胸元に顔を埋め、柔らかい肌を甘噛みして赤い痕を残していく。
その度に震える薫を酔ったように見つめながら薫の袴へ手をかけたとき、薫の両手が剣心の頬へ伸びた。
「正気に・・・っ、戻りなさーいッ!!!///」
ぶ わ ち ー ん ! ! ! !
「お゛ろ゛ー!!!??」
挟み込むようにして頬を両手で引っ叩かれた剣心は、あまりの痛みにそのまま薫の上へ崩れ落ちる。
自分の上でへにゃんとしている剣心に薫は苦笑い交じりのため息を吐くと、夕日色の柔らかい髪の毛をそっと撫でた。
「・・・・すまぬ、薫殿。拙者どうかしていた・・・」
余程自分の行為を悔やんでいるのか、顔も上げずにぽつりぽつりと話す剣心。
そんな剣心を見て薫はしょうがないわね…と、剣心の頭をぎゅっと抱きしめた。
「ちゃーんと納得のいく理由を言ったら、許してあげる。」
「え゛・・・」
「何よ、え゛…って。じゃあもうこんな狼みたいな人とは、一緒に寝ませんからね。」
「う゛…;;・・・し、ししししし……嫉妬していたでござる…;;
///面目ない・・・。」
珍しくあっさりと事を吐いた剣心に、思わず薫が吹き出す。
いつまで経っても笑いっぱなしの薫に、とうとう剣心が真っ赤になって顔を上げた。
「薫ど・・・///」
「今度是非、我が家へお越しください。妻も娘も楽しみにしております。」
「は・・・?」
「だーかーらー。今度是非・・・」
「そ、それは分かった;;・・・妻も娘も…ってまさか・・・」
「追伸。薫ちゃんの良き人とも、是非一度お会いしたいものです。お二人揃って、いつでもいらして下さいね。」
剣心の懸念は確信へと変わる。
つまり薫が言っていた”初恋の人”とは既婚者で、自分が恋文だと思っていたのは極平凡で日常的な手紙であったのだ。
「新市さん、貴方の事を凄く誉めていたみたい。一度会いたいから、是非連れてきてくれって。」
「か・・・おるどのー///!!ずるいでござるよ、騙したでござろう///!?」
「何言ってるのよ!貴方が勝手に勘違いしたんでしょう!?」
「そ…それは///そうでござるけども・・・;;」
再び真っ赤になってしょぼしょぼと縮こまっていく剣心の顔を、薫の手がそうっと包み込む。
そして剣心の頬を親指の腹で摩りながら、薫はふわりと微笑んだ。
「うそ。ほんとはね、ちょっとだけ期待してたの。剣心反応してくれるかなぁ…って。
そんなに一生懸命になってくれるなんて思わなかったから・・・。ごめんね、さっき。痛かった?」
瞬間、心臓がしめつけられるようにきゅーっとなって、ドクリと大きな音を立てる。
あぁ、全くこの御仁は・・・
いつまで拙者を振り回す気でござろうか・・・
魅せられたのは、自分
耽るように溺れたのは、自分
「拙者も・・・かおるどのと一緒に風呂に入りたいでござる・・・。」
「ダメ」
「・・・(´д`メ;;!!!」
その清らかな心は拙者には優しすぎる。
薫殿の全てが、この左頬の傷にじんわりと染みるのでござるよ。
でもこの痛みは、自分が自分である証だから。
そして君を想うが故の、切なく甘い痛みだから。
>>終
御題提供:梨乃様
2005.4.6