「少しくらいなら大丈夫でござろう。適度につかって、すぐに上がれば良い。」

「でも、少し熱があるのよ?湯冷めしたら大変だし…。今日一日くらいなら……」



床に座って一人遊びをしていた剣路をひょいと抱き上げた剣心の腕から、薫はさきほどの台詞と共に剣路を取り上げた。
瞬間、二人の間に弾ける赤い火花。
互いにじりじりと睨み合ったまま、沈黙の時が流れた。



「熱と言っても、微熱でござろう?汗もかいているし…。風邪をひいている時こそ清潔にせねば。」

「絞った手拭でふいてあげれば良いじゃない。風邪をひいてる時こそ、無理して入らなくても良いわよ。」

「んー、拭いてやっても良いのだけれど、それでは髪が洗えないでござるよ?」

「か、髪!?髪なんてそれこそ明日で良いじゃないの!湯冷めしちゃうってば!」

「乾くまで何度も拭いてやれば良い事でござろう?薫殿は頑固でござるなあ。」



剣心が薫の腕の中から剣路を取り上げれば、すかさず薫が剣心の元から剣路を取り返す。
相手に譲ることを頑なに拒む二人の間であっちへ行ったりこっちへ来たりしている剣路は、二人の雰囲気など気にもせずに、この状態を楽しんでいた。



「な!が、頑固ってねぇ!じゃあ言わせてもらうけれど、貴方も相当頑固よ!?」

「拙者は頑固でござるよ?それは潔く認めるでござる。」

「……ッ!何よ、開き直って!いつだってそうじゃない。変な所で大人ぶって、ぶつかろうとしないんだから!」

「か、薫殿。何だか話がズレて……。」

「肝心なところでいつもそうやってはぐらかすじゃない。もういい。剣路もお風呂入りたいみたいだし、早く入れてあげて。」

「…そうでござるか?薫殿が一緒に入る?」

「私は居間で待ってます!良いから早く入れてあげて!」



何度も何度も尋ねる剣心を何とか風呂へ追いやって、風呂の扉が閉まる音を確認してから、薫は畳の上へぺたりと座り込んだ。
つい先ほどまで苛々していたはずなのに、今となっては虚しさでいっぱいで。
言うつもりではなかった言葉を言ってしまった罪悪感と、自分を認めてもらえなかったある種の悔しさが入り混じる。
とにかく負の気持ちで心の中がいっぱいで、それを溜息にして吐き出すこともできずに、薫はただひたすら畳を見つめていた。



「……………薫殿。」

「……ッ!?び、びッ、びっくりするじゃないの!気配消して近づくのはやめてって……」

「すまなかった、薫殿。先ほどは言い過ぎた。」



いつの間にかすぐ後ろに立っていた剣心に、薫の心臓が一瞬止まる。
そして振り向いた直後に薫が距離を取ろうとしたのと同じくして、その場にしゃがみ込んだ剣心はそう言った。

いつだってそうなのだ。
どんなに衝突しても、いつだって折れるのは剣心の方。

事の始めが薫であろうが剣心であろうが、彼にとってはそのようなことはどうでも良いのだ。

そしてそのような彼の姿を前にして、尊敬もするし不安にもなる。
自分の性格の悪さを見せ付けられているようで、そんな自分はいつか飽きられやしないかと不安になるのだ。



「っ……、ご、め…なさ……」

「おろ、薫殿。泣かないで…、おろろ。」

「ごめんなさい……ひどいこと言って、ごめんなさい。け…んしん、ッ…ごめんなさい…。」



堰を切ったように涙をぼろぼろ流す薫を前にして、しゃがみ込んだままおろおろと落ち着かない剣心。
そしてそんな二人の様子を居間の入り口からそっと覗いていた剣路が剣心をじーっと睨み付けると、剣心はその視線に対してふるふると首を振った。

しかしながら剣路は、もう剣心に任せてはおけないと思ったのだろう。
とたとたと居間へ入ってきた剣路はそのままの勢いで剣心を押しのけて、がばっと薫に飛びついた。



「かあちゃ!はいろ!」

「え、剣路?どうして……」

「薫殿にも一緒に入って欲しいらしい。二人は嫌がられてしまった。」



そう言って苦笑いをする剣心は、表情は笑っていても少し悲しそうで。
きっと剣路がお風呂場で駄々をこねたのだろうなぁと、剣路を抱き上げた薫は眉間に皺を寄せる。

そして剣路を抱いたまま薫が風呂場へ向かおうとした瞬間、後ろで動いた何かに違和感を覚えた薫はふと足を止めて振り返った。



「……剣心?」

「おろ?」

「……どうして付いてくるの?」

「どうしてって…そりゃあ、風呂に入るから…」

「えええええええ!?」

「とおちゃもかあちゃもはいろ!」

「な、何言ってるの、剣路!やだっ、ちょっと…嫌だから!」

「そんなに嫌がらなくても。それに剣路がこう言っているのだから……」

「恥ずかしいのよ!」

「何を今更。」

「ッ…、剣心!剣路に何か吹き込んだでしょう!」

「失礼な。…薫殿。いい加減にせぬと、剣路がかわいそうでござる。」

「真面目な顔して、変なこと言わないで!そうだ、用事思い出した!」



そう言って剣路を降ろし、真っ赤になった顔を隠しながら引き返そうとする薫の手を必死に風呂場へ引っ張る父子。
「こんな時だけ仲良くして!」という叫びを最後に、抵抗虚しく風呂場へ引きずり込まれた薫の運命やいかに。




>>終
2008/04/13

子どもの事で本気で喧嘩して欲しいなぁ…と、思い。