「はい、剣心!あーん!」

「か、…っ薫殿、それは……ちょっと……」

「何よ、重病人のくせに。片手使えなかったら食べにくいでしょう?」

「い、いや…その……」



京都での戦いを終えて、皆が落ち着きを取り戻し始めた頃。
身体が動かない自分以外は、皆それぞれ役割を分担して自身の仕事に励んでいた。

今日も朝早くから、弥彦は白べこの手伝いに行っている。
左之は……野暮用だとか何とか言っていたような。
何かを要求するでもなくただ一心に自分の身体の心配をしてくれる葵屋の方々にも申し訳なく、無理をしてでも身体を動かすことが出来たのなら良いのだけれど、生憎今の状態では強がることも無理そうで。
結局のところ施しを受け続け、既に4日が過ぎてしまった。
しかしながら薫殿の話によると、自分はどうやら3日間ほど眠り続けていたようなので、通算すると……『申し訳ない』の一言では済まされないところまできてしまっている。

あれやこれやと考えた後、やはり早く身体を回復させるのが一番の方法だろうという結論に達し、とりあえず今の間は好意に甘えていたのだけれど……



「……そんなに警戒しなくても、私が作ったご飯じゃないから大丈夫よ。」

「ち、違!そうではなくて!」



左之が面白がって薫殿を「剣心世話係」などというものに任命したがために、薫殿は葵屋を手伝いつつ、暇を貰うと食事をするのも後回しにして自分の様子を伺いに来てくれるのだ。
そしてその名の通り、甲斐甲斐しく世話をしてくれる。
そして薫殿の口から飛び出たのが、先ほどの台詞だ。



「じゃあ何よ?ほら、あーん!」

「いや…、その、あの……。ほら、拙者はこのような姿だし。」



というのは一番の理由ではないけれど、しかしながらまあそれも一因あって。
今の自分の格好というのは一応着物は身に着けているものの、上半身が裸であるがために、着物は腰元でだらしなくぐちゃぐちゃになっている。
では何故上半身が裸なのかといえば、それは上半身に包帯がぐるぐると巻かれているからだ。
包帯はどうしようもないにせよ、傷口に布が触れると、やはり痛みは生じるもので。
それならばいっそ脱いでしまえばよいのではないかという話になってしまい、自分の意見は取り上げられる雰囲気もなく、このようになってしまったのである。



「そんなのもう慣れたわよ。ほら!あーん!」

「……っ、い…、あ…、う……」



詰め寄る薫殿から逃げることも出来ず、かと言ってこのまま誤魔化し続ければ薫殿は怒る。
頭は既に色々なことでいっぱいいっぱいで、爆発しそうになりながらも小さく口を開けると、それを見た薫殿がふわりと微笑んだ。



「お茶、欲しくなったら言ってね。おすましもあるからね。」

「あ……、はい、でござる。あ……、では椀物を……」



別に椀物が欲しくなったわけではない。
薫殿の言葉を無意識に復唱し、気づけば自分の口からは勝手にそのような言葉が飛び出していた。

しかしながら次の瞬間、自分で椀物が欲しいと言ったくせに『椀物なんてどうやって食べさせてもらうんだ。』と一人慌ててしまったのだが、何てことはない、薫殿は満面の笑みで椀を手渡してくれて。
ああ、そうだよな。なんて、自分がいかに阿呆らしい事を考えていたのかと、恥ずかしくなった。

薫殿がここに居る事が嫌なわけではない。
むしろ平静を装っているつもりなのに、中身は全く逆であるから困る。

一度は突き放したはずなのに久しぶりにこうやって近くに存在を感じると、自分でも気づいていなかったことに今更ながらどんどん気づき始めて。
夢にまで彼女を見てしまう今の状態を客観的に考えてみると、自分は既に末期なのではないだろうか。



「剣心?」

「ん?」

「お椀……空っぽでしょう?」

「え?……あ。」



本当に、一人で何をやっているんだか。
椀が空になったことも気づかずに……。
ただぼんやりしていただけなのに、薫殿には具合が悪いのかと心配されてしまう始末。
やることなすこと、全てが悪い方向へ転がっている。



「はい、あーん。」

「う、あー………」



色々な事を無駄に気にしすぎて、勝手にいっぱいいっぱいになって。
そんな状態で彼女の笑顔を見たら、おもいっきり感情を揺さぶられて。

戦いを終えてここへ戻り、ずっと眠り続けていた自分が目を覚ましたときに、目の前には彼女が居た。
そのとき何故かとてもほっとして、彼女の顔を見て初めて、やっと終わったのだと身体中から力が抜けた。

顔をぐちゃぐちゃにして、大つぶの涙をぼろぼろ流して、血色の悪い顔で精一杯微笑んだ薫殿を見たときの感情は、きっと嘘ではない。
嘘にしたくても、きっともう、出来ない。



「薫ど……」

「剣心!見て、蛍!」



意気込みが空回りしてしまったがとりあえず薫殿の指差す方を見てみると、いつの間に外はこんなに暗くなったのだろうか…、空はぼんやりと淡い光を残してすっかり藍色を帯びていた。
そしてそんな暗闇の中に、蛍の光が二つ。
寄り添ったり離れたりを、いつまでも飽きることなく続けている。



「もうすぐ季節も終わるのに……まだ居たのね。」

「そうでござるな。」

「……綺麗」



目を細めてぽつりと呟いた彼女のくちびるの動きが目蓋に焼き付いて、ぐらりと視界が揺れた。
淡くて、脆くて、切ない感情
抱えきれずに、弾けそうになる。

あの日もたくさん蛍がいて
名前を呼ばれて、思わず足を止めてしまいそうになって
初めて抱いた身体は想像していたよりもずっと細くて
とてもとても甘い香りがした。



「薫殿。」



少しだけ。
しかしながら誓って裏切ったりしない。

傷を心配しなくて構わないから
だから、少しだけ。



「……け、剣心!?」



蛍に目を奪われたままの彼女を後ろから包み込めば、案の定顔を真っ赤にして狼狽している。
そんな彼女が可愛くて、いとしくて。
腕に力を込めて首元に顔を埋めると、さすがに跳ね除けられると思ったのに、予想外にも彼女は自分の腕を包み込んで大人しくなってしまった。



蛍の光がゆらゆら揺れる。

甘く優しい香りが、身体中の傷にじんわり染みた。




>>終
2008/02/28

シシオ編の辺りから、ヒムラ氏は薫殿にきゅんきゅんしていたと思う。
『しゃぼん玉色の記憶』と微妙にリンクしてます。