頑張って頑張って努力すれば、平行線は交わるものだと思っていた。
剣心のことも、全部全部分かると思っていた。
けれど、現実ってそう甘くは無い。
どれだけ長く一緒に居ても、踏み込めば踏み込むほど分からなくなる。
彼は一体、何を考えているんだろう。
私のこと・・・どう思ってるんだろう。
五 月 雨 の 憂 鬱
季節は夏を迎えようとしている。
蒸し暑く、生温い空気が絶えずずっしりと身体中に圧し掛かる毎日。
何をするのも、気力が起きない。
これもきっと、私の苛々を助長させているんだろう。
「薫殿?洗濯は終わっ・・・・、まだみたいでござるね。」
ぼーっと洗濯物を手に持ったまま更け込んでいた私は、彼の気配に全く気がつかなかった。
まぁ、私の周りで刻々と流れていく時間にも気がつかなかったのだから。
彼に気付かなかったのは、当たり前といえば当たり前だけれども。
いつもなら彼の顔を見た瞬間に、心は躍るはずなのに
今日は何だか、胸の奥がずん・・・と重い。
「・・・薫殿。洗濯物を終えたら、少し外に出ようか?」
「え?あ、剣心。大丈夫よ、私一人で出来るから・・・」
「しかし、二人の方が早かろう?」
「それは・・・そうだけど・・・」
黙る私を不思議に思ったのか
剣心はたらいを挟んで私の正面にしゃがみ込み、私の担当であったはずの洗濯を手伝い始めた。
私は何故か顔を上げられずに、ひたすら布を擦り合わせる。
剣心のお陰なのか、私一人では全く進まなかった洗濯は、あっと言う間に片付いてしまった。
心の中で色んな感情が混ざり合って、その塊を吐き出せない私をさらに深く沈める。
「さて、と。薫殿。あとすることは?」
「え?あ、・・・無い、わ」
「では、もう暫くしたら買出しにでも行くでござるか?」
「あ、えと。・・・うん。じゃあ・・・私部屋の掃除を…」
反射的に、勝手に口をついて出た言葉だった。
別に部屋の掃除なんて、する気は無かった。
勝手に、口から零れおちた言葉。
「・・・手伝おうか?」
「え?・・・い、いいえ、大丈夫よ」
「手伝うでござるよ。一人より二人のほうが早いでござろう。」
そう言うや否や、剣心は私の手首を掴んで、部屋に向かってずんずんと廊下を突き進む。
ちょ・・・ちょっと待って;何か、怒ってる?
どうして剣心がそこで怒るのよ;?
怒りたいのは、私の方だってば!
「剣心!!」
部屋の前に着いた瞬間、私は襖に手をかけようとした剣心の前に立ちはだかった。
思ったとおり。
剣心は、恐い顔をしている。
「あの、ほら。一応私も女だから。入られるのはちょっと・・・」
「何を今更。そんなことを気にする間柄では無いでござろう?」
私の言葉にあっさりそう返した剣心は、私の身体をぐいと引き寄せて、もう片方の手で襖をパァンと開け放った。
私の身体を抱えたまま、私を引きずるようにして部屋の中へ入る。
まだ障子が締め切られた部屋には、ぼんやりと朝日が差し込んでいた。
剣心は後ろ手でゆっくりと襖を閉め、また私を引きずるように部屋の真ん中へと移動する。
な、何を考えて・・・;?
全く読めない彼の思考に、私はただただ困惑するばかりだ。
「・・・・薫殿」
はぁーっというため息と共に、挙動不審男・剣心が腰を降ろしてようやく口を開いた。
「・・・何か怒っている?」
私の顔色を伺っているような剣心の口から飛び出した疑問に、私の中の苛々は今までの倍以上に膨れ上がる。
「お、怒ってるのは剣心じゃない;!腕引っ張って、勝手に人の部屋入って!」
「それはすまぬ。しかしながら、昨日からずっと怒ってるでござろ?」
「怒ってない。」
「嘘。怒ってる。」
「怒ってないってば!」
「・・・もしかして昨日の事?」
剣心が前もって準備していたかのようにさらりとその言葉を吐いた瞬間、私の中で何かが音を立てて切れた。
剣心は分かってたんだ。
私が怒ってる事も、その理由も。
そう理解した瞬間、今の今まで自分が馬鹿にされていたような気持ちになって、私の苛々は爆発したのだ。
「わ・・・かってるなら、っ、一々聞かないでよ!」
そう言って力の限り放り投げた枕を、驚いた表情をしながらも易々と受け止める剣心に余計に腹が立つ。
「薫殿!枕は投げるものではござらん。」
「言われなくても分かってるわよ、馬鹿!」
そう言って近くにあった小箱の蓋を投げるが、それもあっさりと受け止められてしまった。
こんなことをして、惨めな思いをするのは重々承知だけれども
それでも、どうにかして発散せずにはいられない。
こんな自分が嫌で。でも、もう止められなくて。
どうにでもなれと思い手にとった櫛を振り上げた瞬間、剣心にその手首を掴まれて、そのまま私の身体は床へ押し倒された。
「父上からもらったものでござろう。折れたらどうするんでござるか。」
真剣な顔で私にそう言い聞かす剣心。
久しぶりに彼の顔をこんなに近くで見たような気がする。
止めてくれて良かった
この櫛は父に貰った最後の贈り物だった。
父が私の為に選んでくれた、最後の贈り物だった。
もしあのまま投げていて、仮に折れていなかったにしても
私はきっと後悔していた。
もっともっと、自分のことが嫌いになっていた。
私の手からぽとりと力なく櫛が落ちると、剣心がほっとしたように手の力を緩める。
そしていつものように、「仕方ないな」とでも言うかのように、私の顔を見て柔らかく微笑んだ。
「剣心の・・・ばか・・・」
「薫殿もね。」
剣心の笑顔を見たら張り詰めていたものがプチンと切れて、ぼろぼろと涙が零れ落ちる。
剣心は私の身体をゆっくりと抱き起こしてくれたのだが、やはり正面から向かうのは少し躊躇われて顔を逸らすと、
そんな私の様子にも呆れることなく、剣心は私の身体をゆっくりと後ろから包み込んでくれた。
「剣心のばか…こんなことしたって、私当分怒ってるんだから。」
「おろ。拙者一応は薫殿に了承を得たはずでござるが?」
「だ・・・って、お世話になってる道場の娘さんだし・・・」
そう。
昨日、最近お世話になっている道場の娘さんが、道場の師範・・・つまり彼女の父親とともに、うちを尋ねてきた。
下町へ足を伸ばすついでに・・・なんて言っておきながら、彼女の目的が剣心なのは一目瞭然で。
しかも事もあろうに、結婚の話まで持ち出す始末。
普段は厳格な師範も、一人娘には弱いらしく。
まるで彼女の言いなりで。父親の威厳も何も、あったもんじゃない。
それで、(あつかましくも)町の案内を剣心に頼みたいなどと言い出した彼女は、この2日間朝早くから夜遅くまで剣心を引っ張りまわしたのだ。
勿論、私には遠まわしに”ついてくるな”と念を押して。
ここまでくると、一度はあそこまで押しの強い女になって生きてみたいものだ。
「しかし、薫殿は拙者よりも付き合いをとったんでござろ?違うでござるか?」
耽っていた私に、突如後ろから聞こえてきた言葉。
その言葉に私は耳を疑った。
ゆっくりと後ろに振り向いた先には、いつもの剣心。
でも、どこか違う。
いつもの剣心なら、こんな刺々しい言い方をしない。
・・・怒って、る?
「拙者も結構堪えたでござるよ。薫殿が笑顔であっさり承諾したものだから。」
「け・・・んし・・・?」
「家に帰ったら薫殿は既に寝ているし。」
「・・・・・」
「しかも、自分の部屋で。」
淡々と、しかしながらどこか寂しそうに話す剣心を見ていると、驚きと確信が交錯して、心の奥がぎゅーっとなって。
とてもとても、いとおしく思えてきて。
視線が絡んで、瞳が泳ぐ。
腰に回された剣心の手の力が強くなったかと思えば、それを気にする間もなく、剣心の唇がゆっくりと私の唇に重なった。
首元を撫でる剣心の髪の毛先が、くすぐったいような心地良いような・・・そんな不思議な気分も、剣心の唇の柔らかさに混ざっていく。
久しぶりに感じた彼の匂いと、温かさ。
今まで塞がれていた彼を想う気持ちが、一気に膨れ上がった。
「薫殿」
だらしなく弛む、私の着物の帯。
何も言えずに視線を逸らした私を見て柔らかく微笑んだ剣心が、私のリボンを静かに解いて、顎に唇を添わせた。
「薫殿がいてくれないと…多分、無理。」
いつもより数段素直で、率直な彼の言葉。
こんなときに、ズルすぎる。
「・・・ちゃ、ちゃんと言って///」
「おろ?」
「わ、私のことどう思ってるのか、ちゃんと言って///」
剣心の言いたいことは、剣心の意地悪な笑みで十分すぎるほど分かった。
やっぱり敵わなくても、それでも良いから剣心の口から聞きたい。
平行線は、多分これからも交わらずに真っ直ぐ伸び続ける。
でも、それぐらいがちょうど良いんだと思う。
交わらないからこそ生まれる喜びやいとおしさを、まだ私は知り尽くしていない。
平静を装っている振りをしていても、実はすっごく恥ずかしがっている事だとか。
頑張って頑張って言おうとするけれども、やっぱり恥ずかしくて、結局無理矢理行動に移して誤魔化す所とか。
でも重なれば、こっちが恥ずかしくなるくらい、何度も何度も言ってくれる所だとか。
剣心が自分で髪をほどいたら、私はこの部屋から出られなくなる。
折角の久しぶりの良い天気なのに・・・だなんて心にも無い事を言ってみると、彼は申し訳なさそうに微笑んで。
きっともうすぐ、雨が降る。
夏の訪れを告げる、気まぐれな激しい雨が。
混ざり合う声も体温も、全てを奪い尽くして
そんな彼の激しい雨に打たれるのも、良いかも知れない。
>>終
44000番を踏んで下さった樹花さまへ。
リクエストは、薫殿が緋村氏にやきやきするお話。
2006.07.22